https://nakkershichi.hatenablog.com, between the and tags

3年間教員やった後に大学院に出た男の末路

大学卒業後3年間小学校教員として働き、大学院に進学後の男の末路についてツラツラと。

通信で教員免許取得 その3

こんばんは、今日は授業で発表があり、内容がないようと言われました、嘘です、内容少なめだからレポートで対応すると言われました。笑

 

 

大学院の授業は今度書くことにして、今日は教育実習の最終回にしようと思います。

 

 

第1回は教員として働きながらのハードルについて

 

第2回は実習はどれくらいの期間いくかについて

 

第3回の今日は教育実習そのものの感想や、やってよかった、反省点を書いていこうと思います。

 

まず、僕が1番最初に子供の前に立ったのは大学2年の頃の大学の必修単位だったボランティア活動で小学生の前であった。

 

当時僕は塾講師のアルバイトをしていて、当時から中高の英語教員免許を取りたいと思っていた。(当時事情で取れなかった)中学生に教えるのはとても面白かったし、やりがいもあった。

 

そのため、僕はボランティアに行くのは高学年に行きたいと思っていた、話が低中学年だと通じないと思っていたからだ。

 

 

当時は5年生と特別支援級のボランティアに行って、非常に学校の立ち振る舞いというのがわかっていなかった。

 

ボランティア先からは翌年は呼ばれなかったくらいだから相当信頼度は低かったと思う。

 

コーディネーターの先生からなぜ来ているの?って聞かれるくらいだからおそらく相当だと思います。笑

 

 

ほんとに小学校はそれから僕はとても気を使う場所になっていた。

 

ただ、翌年の大学3年の時に行ったのは、僕にとっては非常に気は使ったが、いろいろ実践的な勉強になる年であった。

 

当時は低学年に主に入っていたが、めちゃくちゃ大変だったが、低学年の先生と協力して1年かやり切った、やり切った感じがハンパなかった。

 

 

そして、前置きがかなり長くなりましたが、ここから小学校の実習に行きました。

 

最初に言っておきますが、実習は何が1番影響するかというと…

 

 

指導教官との相性です。

 

これが本当に大きな影響があります。4週間、ないし3週間くらいは一緒に子供たちを指導するので、ほんとに報連相が大事になります。

 

その報連相のしやすさというのは教員として働く上で何よりも大事だと僕は考えます。

 

特に実習を担当してくれた指導教諭とは今も連絡を取り合うくらい仲良くさせていただいています。

 

さてさて、僕の場合は、小学校の実習に行くにあたって、ボランティアしてと言われたので、毎週例によってボランティアに行きました。そういうこともありうります。

 

ただ、僕の教師人生に甚大な影響を与える出会いでした、子供たちも、もちろん先生たちも。

 

4週間が1番期間としては長かったけど、体感は短かったです。

 

だから僕が小学校の先生になった理由の1つになりました。

 

 

次は特別支援学校ですね。

 

特別支援は、正直何も話さないで1日が終わって言った感じが強いですね。

 

子供たちの発話がなかったので、ほんとに辛かったです、ずっと安全管理とトイレ支援をやっていた記憶しかありません…。

 

実習をした自治体とは違う自治体で単発ボランティアやったことあるんですが、そっちの方が楽しかったです。

 

子供たちの投技能はほんの少しでも向上させることができだと思います。

 

両手下投げ→片手上投げ→オーバースロー→スリークフォーターの順番で発達するらしいですよ。

 

後、教員がじっくり待つという姿勢を学べたと思います。

 

初めて子供たちに授業したときに、僕はフラフラしてしまいしました。

 

フラフラしたことで、子供たちが混乱してしまい、授業が思うように進まなかったです。

 

そんなことでも、混乱してしまう子供たちもいるから小学校でも気をつけようと思った瞬間でした。

 

でも研究授業(これは実習に行ったら絶対やります、やらないと単位もらえません)は1番上手く行った授業でした。

 

あの子供たちの本番に強いというのが証明された瞬間でした、本当に嬉しかったです。

 

後1番暖かかったのは校長先生でした、これはどの校種の中を比較してもダントツでした。

 

本当に助けられました。

 

 

最後は高校です。

 

高校は、やっぱり生徒たちが授業の受け方というのができていて、楽しければ乗るし楽しくなければ寝るというある意味ではわかりやすい環境でした。

 

 

指導教官とも、校長とも生徒たちとも1番距離感があったと思いますが、指導してて1番楽しかったのは高校でしたね。

なんたって学問的にやりたいと思ってる(端くれの分際でこんなこと言っても説得力がないかもしれませんが)ことができるから。

 

 

でも、最後に、1番寝てたクラスの子たちがいい先生だわ、って拍手してくれたのは今ではとても嬉しい思い出ですね。

 

やっぱり子供たちは嘘だとしても、本当に嫌な相手には感謝などは言わないことが多いので、嫌われてはいない、たぶんふつーの教員だったと思います。

 

 

とある先生が、全先生の中で半分を目指せばいいと言っていたんですが、僕はボランティアでも働きながらでも、これくらいやって半分かなあってくらいのさじ加減でやっていました。

 

 

すごい、大学院のレポートより楽しく書けた。

 

やっぱり学校での先生ってのは本気でやってきたから楽しいんだな。

 

 

次回は、小学校の教員としての履歴を書いていこうと思います。(テーマはまだ考え中です)

 

 

ではでは👋