何故教員を3年間で辞めてしまったか
教員を3年間しか経験してないかもしれないが、その3年間の中でもいろいろな経験をすることができました。
基本的に学級担任ではなく、算数の少人数や、国際教室、(外国につながる子供達のための日本語支援などの教室)、支援学級の補助といった"痒いところに手が届くこと"を仕事としてやっていました。(なんか孫の手みたいですね)
小学校という場所は今とても保護者もこどもも先生も多様化し、色々悩まさせられることも多くありました。
学校での私の仕事っぷりは自分で言うのも変な話ですが、とても真面目に頑張っていたとおもいます。
僕の周りの仲のいい先生は本当に真面目で素敵な方々です、なのに何故辞めてしまったか。。
3点あります。
正直僕は普段あまり何も考えていないんですが、何も考えていないときに授業だったり、指導、支援の自分なりのアイデアがパーっと降りてくるタイプです。
で、わりとそれは子供にも楽しかったと言ってもらえる指導支援につながることが多かったように思います。(もちろんそうでないこともありましたが)
そのアイデアがある日からあまりあっ!これやったら子供喜ぶかも!とか言うことに心躍らなくなって、なんとなく事務的に(表面的には取り繕っていたと思います。)なってしまったのが一点。
2点目に僕は子供のことを叱らないダメな教師だと認識させられたからです。
子供たちは1年生から6年生まで、それぞれかわいいです、どの学年にも入りましたが、それぞれ大好きなポイントが違うにせよ、大好きです。
ただ僕は怒りの沸点が高すぎて、あまり怒鳴り散らす指導ということができません。
全然怒らないんです、特に3年目は。
怒っていいよ、もっと叱って大丈夫だよと何度も声を抱えていただきましたが、叱らないというのは自分の中でコンプレックスでした。
もちろん授業中騒いだり、喧嘩して誰かを傷つけたりしたら、大きな声で怒鳴り散らしたこともあります。(特に1、2年目の時)
子供の前で机を蹴っ飛ばして、威圧的にあえて指導したこともあります。
ただ若さゆえそういうことをしていて、ある事件が起きました。
保護者に怒鳴り散らされんです。
悪いことしてるのオタクのお子さんで、教育という場で怒鳴ることは当たり前です。
でもそういう態度をとる人が出てしまうと、僕は萎縮してしまいます。
そう、正義が保護者の鶴の一声で悪に変わってしまう。そんな土壌が学校にはあります。
僕は保護者の方々に助けられた経験ももちろんあります。本当に多くの保護者の保護者のみなさんには感謝してもしきれません。
でも、怒られないで育ってしまった子供は確実に社会の荒波に揉まれるときに、打たれ弱くなります。
それを正すというと語弊が生まれます。そのためここでは、そういう経験(喝を入れられる)も必要だよねって保護者にはわかっていただきたいところもあります。
僕は子供たちの保護者ではありません。なので、生まれてからずーっと育ててきた皆さんとは全然違います。段違いです。
でも僕なりの子供たちへの愛情を持っています。子供たちを育てたいという思いはそれなりにあったと思います。
だから孫の手教師として、やってきて、自分の怒らなさにうんざりしてしまったのが2点目です。
3点目は、職場の人間関係です。
僕の職場は子供たちにはとっても恵まれていました。落ち着いて授業を受ける子がほとんどでした、若い先生の学級崩壊を未然に防ぐこともたくさんコミュニケーションを担任ととって、色々やっていたからほぼ起きませんでした。
ただやはり学年によってやり方が違うというのは当たり前で僕なりにそれは考えて、均質的な平等にやるようにしていました。
それに不満を持たれたり、全く関係ない学年の御局様に目をつけられたりしました。
本当に心が疲弊しました。僕は自分ではHPS傾向が強くあるので、毎回電話が鳴るたびに私のことじゃないかという思いでビクビクしていました。
合わない人が職場にいるのはこれはもうどうしようもないことはわかっています。
ただ、合わないなりに僕も考えてやっているのをことごとくぶち壊してきます。
まあほっとくのが1番なのはよくわかっているのですが。
でもやはりチームである以上、何かしら連絡を取ったりその先生にお願いしなきゃいけない場面というのはあります。
そのときに他の先生とは違う態度をとる人がいるのは違うなあと思います。
いくら嫌いでも、僕の考えに賛同してもらえなくても、態度を変えるのは違う、もし問題があるなら、家でやってほしい。
まあそういうことも言えるわけもなく、やり過ごしてきて、なんか虚しくなったんです。
これが3点目です。
長くなりました、誰も読んでないからいいかな。笑
では今日はこの辺で(^-^)/