通信で教員免許取得 その2
前回は教員やりながら教員免許を取得するハードルについて話しました。
今回は、実習について話していきたいと思います。
小学校と特別支援学校の実習は学生時代に行き、小学校の実習を経験して僕は小学校で、もっと深めたいと考え小学校教員になった。
でも、前回の記事のとおり、僕の信念から動いた。
実習の仕組みの話を今日はしたいと思います。
まだ免許を取っていない人、これから取りたいと思ってる人はこの記事を参考にしてくださいね。
これから書くことは、僕の経験なので、もしかしたら大学によっては違うかもしれませんが、参考までに。
これまで教育実習に行ったことのない人は小学校は4週間、中高はどちらか(学校によっては両方とも)に3週間、特別支援学校は2週間の実習がベースとしてやられることになると思います。(小学校が5週間やる大学もありますが)
これは1種免許を取る時なので、2種免許を取られる方(別の記事で免許の種類については書こうと思います)は、その半分くらいが目安だと思います、中高は2週間だと思いますが。
どこかの実習に行かれたことのある人は、中高であれば1週間短くてもいいようです。小学校では2週間でいいと聞いたことがあります。
ただ、僕は母校で実習したんですが、実習は3週間しか受け付けていないとのことだったので、2週間でよかったところを3週間やりました。
3週間その間は給料0でしたね〜。働き方としては教員と変わらないんですが、なかなか厳しい家計でした、当時は。笑
もちろん、実習でお金が出るところなんていうのは聞いたことありません。
ただ、いくら信念を持っていても、飯は食えないですね。はい、スティーブ・ジョブズは何言ってるんやと思っちゃいますね。笑
実習は子供との関係だったり、仲の良い先生というのはできる点で、僕はきっと教員として向いてるのかもしれないですが、いろいろもう苦しいので、いつか戻れたらと思ってますが、話がそれました。笑
さてさて、
実習の感想ですが、
今度書いていこうと思います〜
ではでは👋
通信で教員免許取得 その1
僕は教員とした働きながら通信で中高の免許を取得した。
社会人でこれから免許を取る人にぜひぜひ読んで欲しい内容です!
明星大の教育学部に通信で入学し、2年かかるところを1年半で免許取得までこぎつけた。
働きながらレポートを書き、テストを受けるのにはいくつかのハードルはあったが、超えられるハードルだと僕は考える。
1つ目のハードルは土日は該当箇所の本を読んで、レポートを書く、それを提出することです。
これを毎週コンスタントにやるのは骨のいる作業でした。
今は大学院の課題に追われていますが、大学院の課題に比べたら学部時代の二番煎じでなんとかなっていた分楽だと思います。
第2のハードルはテストです。
僕はテスト問題を先輩からもらえたので、苦ではなかったんですが、もらえない人はどこを勉強しなきゃいけないのがわからないのが明星大の辛いところ…
2ヶ月に1回、前の月か、前々月の16日?に提出できたレポートのテストをやるのはなかなか辛いものでした。
ましてや1種免許を取得してしまったので、なおさらでした。
20科目くらいテストを受けました。
最大の関門は、校長の説得だと思います。
実習に行く前に、校長から担任をやって欲しいと打診されました(2月から3月上旬くらい)。
当時僕は自分の立場にやる気で、とてもやりがいを持っていたこと、そして、その年の6月に実習があることを伝えたこと(臨任だったので、その点少し融通がききました)が、幸いし、なんとか実習に行くことができました。(実習のことは今度書きますね)
僕は小学校の英語を進めていくために中高の英語の教師の考えを小学校の教師は知るべきだと考えます。
知らなくても指導できるとか、そんな時間ないとか言う意見もあるかもしれませんが、僕たち教師は中学校で習う内容はわかっているのに、子供たちはわからないままこの勉強が何に関係しているのかをわからないまま学習を進めていくのは不安だと思います。
だから、小学校も中高の英語の先生のことを知る必要があると考え、免許を取りました。
ほんと信念的に、中高の英語を持ってる教員はこれからの教育界を変えていけると思いました。
ただそれは思い過ごしだったようです。
まあでも頑張ってきた1年半はそれはそれで楽しいものでした。
少なくとも僕の周りには教員として働きながら教員免許の勉強している人は1人しかいません。
働きながら免許を取りたい人とか、興味のある人はぜひ連絡ください〜!
ではでは👋
何故教員を3年間で辞めてしまったか
教員を3年間しか経験してないかもしれないが、その3年間の中でもいろいろな経験をすることができました。
基本的に学級担任ではなく、算数の少人数や、国際教室、(外国につながる子供達のための日本語支援などの教室)、支援学級の補助といった"痒いところに手が届くこと"を仕事としてやっていました。(なんか孫の手みたいですね)
小学校という場所は今とても保護者もこどもも先生も多様化し、色々悩まさせられることも多くありました。
学校での私の仕事っぷりは自分で言うのも変な話ですが、とても真面目に頑張っていたとおもいます。
僕の周りの仲のいい先生は本当に真面目で素敵な方々です、なのに何故辞めてしまったか。。
3点あります。
正直僕は普段あまり何も考えていないんですが、何も考えていないときに授業だったり、指導、支援の自分なりのアイデアがパーっと降りてくるタイプです。
で、わりとそれは子供にも楽しかったと言ってもらえる指導支援につながることが多かったように思います。(もちろんそうでないこともありましたが)
そのアイデアがある日からあまりあっ!これやったら子供喜ぶかも!とか言うことに心躍らなくなって、なんとなく事務的に(表面的には取り繕っていたと思います。)なってしまったのが一点。
2点目に僕は子供のことを叱らないダメな教師だと認識させられたからです。
子供たちは1年生から6年生まで、それぞれかわいいです、どの学年にも入りましたが、それぞれ大好きなポイントが違うにせよ、大好きです。
ただ僕は怒りの沸点が高すぎて、あまり怒鳴り散らす指導ということができません。
全然怒らないんです、特に3年目は。
怒っていいよ、もっと叱って大丈夫だよと何度も声を抱えていただきましたが、叱らないというのは自分の中でコンプレックスでした。
もちろん授業中騒いだり、喧嘩して誰かを傷つけたりしたら、大きな声で怒鳴り散らしたこともあります。(特に1、2年目の時)
子供の前で机を蹴っ飛ばして、威圧的にあえて指導したこともあります。
ただ若さゆえそういうことをしていて、ある事件が起きました。
保護者に怒鳴り散らされんです。
悪いことしてるのオタクのお子さんで、教育という場で怒鳴ることは当たり前です。
でもそういう態度をとる人が出てしまうと、僕は萎縮してしまいます。
そう、正義が保護者の鶴の一声で悪に変わってしまう。そんな土壌が学校にはあります。
僕は保護者の方々に助けられた経験ももちろんあります。本当に多くの保護者の保護者のみなさんには感謝してもしきれません。
でも、怒られないで育ってしまった子供は確実に社会の荒波に揉まれるときに、打たれ弱くなります。
それを正すというと語弊が生まれます。そのためここでは、そういう経験(喝を入れられる)も必要だよねって保護者にはわかっていただきたいところもあります。
僕は子供たちの保護者ではありません。なので、生まれてからずーっと育ててきた皆さんとは全然違います。段違いです。
でも僕なりの子供たちへの愛情を持っています。子供たちを育てたいという思いはそれなりにあったと思います。
だから孫の手教師として、やってきて、自分の怒らなさにうんざりしてしまったのが2点目です。
3点目は、職場の人間関係です。
僕の職場は子供たちにはとっても恵まれていました。落ち着いて授業を受ける子がほとんどでした、若い先生の学級崩壊を未然に防ぐこともたくさんコミュニケーションを担任ととって、色々やっていたからほぼ起きませんでした。
ただやはり学年によってやり方が違うというのは当たり前で僕なりにそれは考えて、均質的な平等にやるようにしていました。
それに不満を持たれたり、全く関係ない学年の御局様に目をつけられたりしました。
本当に心が疲弊しました。僕は自分ではHPS傾向が強くあるので、毎回電話が鳴るたびに私のことじゃないかという思いでビクビクしていました。
合わない人が職場にいるのはこれはもうどうしようもないことはわかっています。
ただ、合わないなりに僕も考えてやっているのをことごとくぶち壊してきます。
まあほっとくのが1番なのはよくわかっているのですが。
でもやはりチームである以上、何かしら連絡を取ったりその先生にお願いしなきゃいけない場面というのはあります。
そのときに他の先生とは違う態度をとる人がいるのは違うなあと思います。
いくら嫌いでも、僕の考えに賛同してもらえなくても、態度を変えるのは違う、もし問題があるなら、家でやってほしい。
まあそういうことも言えるわけもなく、やり過ごしてきて、なんか虚しくなったんです。
これが3点目です。
長くなりました、誰も読んでないからいいかな。笑
では今日はこの辺で(^-^)/
何故教員になったのか
これまで更新が滞っていましたが、今日から本格的にかけるときは書いて行こうと思います。
自分語りキモいと思う方はこれ以上進まないでくださいね←
では、始めます。
何故僕が教員になったのかというと、子供たちの居場所を教育の場で提供したいと考えたからです。
両親は教員でも教育関係者でもないです。しかし、年下の兄弟がいるのですが、あの人たちに教えることはとても楽しいと幼い頃から思っていました。
また、小学校の頃の先生の思い出はやはり僕のキャリア形成に大きい影響がありました。
学校の中で私はいろいろな問題を経験して過ごしてきました。
いじめ、不登校、校内暴力、対教師暴力(僕自身はやっていませんが)…いろいろありました。
子供たちに勉強を教えることと、人間関係の形成を応援したい。そういう思いから教員になりたいと思うようになりました。
まあ現実にはたった3年で実力のある小学校の先生になれるわけもなく、いろいろ挫折したのですが、それは後日書こうと思います。
院の授業も今忙しくて、なかなか更新頻度はカメさんくらいだと思いますが、頑張って更新しようと思います。
次回は何故教員を辞めたのかということを書いていきます。
それではー(*・ω・)ノ
コロナ対策(まとめ)
コロナウイルスが蔓延してますね。
どのチャンネルを見ても、どれを見てもコロナコロナ、そんなに好きなんですかね。そんなにマスコミは不安にさせたいんでしょうかね。
情報を出してるというよりは、視聴者に不安を煽るような内容ばかりな気がします。
そこで、これまで出ている対策をまとめてみました。
・3密(密接、密集、密室)を避ける。
・咳エチケット(咳やくしゃみの時はマスクや布で抑える)
・自分が保菌者の場合もあるので、咳をする人はマスクをする。
・石鹸にウイルスは弱い。
・アルコール消毒をする。
・休息・運動・栄養のバランスをとる。
・体調が悪い時でも、無理をしない。
・扶養不急の外出はしない(最低限度の人間生活を行えるよう程度には出る)
こんなところでしょうかね。他にもあれば教えてください。
どこも時間短縮、営業停止、中止になり、本当に何も楽しみはなくなりますよね〜。
いつかのコロナトンネルは抜けるのか。
けさサンデーモーニングで、フードナショナリズムについて言われていたけど、フードナショナリズムになるから、どうすればいいとかそういう提案性のあることは何も言わないんですよね。
批判ではなく、提案を。
何事も、批判でなく、提案を。
上のようにみんなも気をつけていきましょう!
コロナ
ほんとコロナが今大変ですね。
東京では今日だけで95人となっているみたいですね。
コロナについて近いうちにまとめようと思います。
今日は僕は疲れてしまって……
なんとなくこんな感じで新年度から更新していきたいですねぇ。
見てくださる皆さん、ありがとうございます。
公務員からの転職
ただ今、公務員からの転職について動いています。
2020/04/01現在、コロナウイルスで、経済が停滞しています。
これまで、働きながら教員免許の取得をしたり(後日そのことについては書きます)夢をたくさん叶えてきました。
今年から研究をしたいと思いまして、大学院に進学します。
ちょっとタイミングが悪すぎるくらいですが、しっかりと面接などの準備をして頑張っていきたいと思います。
具体的に動いたこととしては、リクルートエージェントとウズウズたまに、ワークポート、この3つをメインにしようかなあと思います。
同じリクルートでも、就職ショップは僕にはあいませんでした。
自分と会うエージェントに頼んでうまくいかせたいものですね。
今日は久しぶりの更新ということで、ありがとうございました😊